ラッシュの緩和

都市交通機関

東京は住みやすいか?
突然、変な質問ですね。

人は、住み難い、よりも 住み易い 方がいい。

 

なんだかんだと、改善の試み、
ラッシュの込み具合は、しだいに改善されてきた。
30年間ぐらい通勤して、それを感じる。

緩和につながった変化、

1.新たな線路の開発  ・・・例えば、大江戸線南北線
2.鉄道の相互乗り入れの開発 ・・・ 乗り換えが不要に
3.複々線化 ・・・ 急行が急行らしくで 輸送能力増大
4.混雑時を避けるシフト勤務

などが
あると思います。

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自分の体験としては、
いつもつかうO線の場合、地下鉄が新宿駅の少し手前の代々木上原で繋がった際、
その日から、混み具合がだいぶ楽になりました。

感動した覚えがあります。

でも、まだ朝のラッシュはある。

 

ヒトとヒトがくっつく

 

べつに、好んでそうしていわけでは、ありませんが。
ヒトとヒトは、稀に、密着します、そう頻繁ではありません。

 

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ですので、密着には、なれていません。

つまり、満員の通勤電車の状況は、普通ではありません。

しいていえば、祭り(おみこし担ぎ)です。

あの未着度が、あれに近いです。
でも、電車が混んでいるときは、さらに強く人は未着します。

落ち着いて背中で押す

また、だいぶ以前のこと、

大手町駅東西線のホーム
その若い女性は、パニックになって

大きな声で泣き喚いた。
「ワァー、もうまにあわない、ワァー」と。
動転して、人がいるのに恥ずかしくないらしい。

つまり、ラッシュは初めての体験だったのだろう。
「これでは乗り込めない、乗れなければ遅刻する。。。」といった意味だと想像。


コツがある。
教えてあげました。
「大丈夫、こうやって背中からはいるの!(前だと無理なので)背中で押していけば、入れるよ。」


あの子は、いまも通勤しているのか。


通勤時間帯の通勤は、しなくなってしまった かもしれない。


想定外の世界に、突然遭遇したのだね。
ショックだったのだろう。

ドラマ だったね。

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乱暴もの

満員電車に乗り込むときに、
ガツンとやられた

痛い思いをした記憶

 

かなり以前のこと、
高校の頃だと思う。
電車の満員度合がはなはだしく、駅は殺気立っていた
わたしも必死に、乗り込もうとしていた。

 

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ガッツンとやったのは女性でした。
女性の方が、乱暴だとわかった体験


女性は、力が弱い分、必死になる、
その結果、より乱暴になる

と、解釈

満員電車は 稀な経験

 

外国の方から見て、日本のラッシュは珍しい光景

なんだろう

 

どう珍しいかというと、
ホームで乗客を押す駅員の仕事。

走ってきて、乗車を助けてくれる。
外国では、それをテレビで取り上げて紹介するらしい。

英会話の先生が「それはほんとうか?」と聞いた。

 

また、だいぶ以前、ラッシュの新宿駅で、

人の流れを盛んに写真に撮っている、観光客をみた。

興味深々の様子

ホームではなく、路線の下の横断通路

確かに 

おそろしい人の流れ

すごい

見ごたえある 情景だ。

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いっそ、外国人向けに、
「山手線ラッシュ体験ツアー」
を企画すると面白いと思う。

 

ギュウーと!満員を体験する

ギューのあと、参加者は、一旦、集まって、感想を述べあう。

そして、また電車に乗る。

(笑う)

例えば ケンカの事例

現実のひとつ
またそれは、ドラマの1分類
ケンカ がある。
電車の中でケンカ に遭遇することがある。


ケンカの事例について、考えてみた。
まず過去の記憶を思い出しにかかった。
自分が巻き込まれたのは、すくなくとも、3回半。
この40年間で。

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つまり、たまたまケンカを観た、でなくて、

巻き込まれた。
基本、わたしは平和主義だと思う。
それにもかかわらず、遭遇する、あるいは、巻き込まれる。
この事実を、考えてみよ 通勤は、現実の宝庫、

電車通勤は現実の凝縮箱のようなもの。
実際に自分に起きた出来事、経験なのだ。

 

さらに、気が付いた
巻き込まれたケンカを、思い出して文字に落とすうちに、
・・・つまらない、と思えてきた。

いやなことは、忘れたい という側面か、(笑う)。
わざわざ、思い出さなくてもいい、
面白くなさそう と。

つまり、ヒトは不愉快な出来ごとに遭遇する。

ヒトは いやなことは思い出したくない、

ヒトは、それらをなかったことの様に整理しているかもしれない。

現実とは、そういうもの。

 

このテーマは、もう少し考えておきます。

できれば、記憶の隠れ蓑を面白く書きたい。

 

あれだね、はるか昔、時間が沢山あった時代、

古代とか、少し前の江戸時代とか、

老人が、時間があるときに、昔話を語る。


昔、こんなことが、あったんだよ。

(笑う)

通勤中にテレビ

時代の変化で、未来の夢が現実に

たいしたことではないかもしれないが、大したことだ!
電車の中でテレビをみれるなんて!!
電車のドアの上に、薄型テレビがついて、映画のコマーシャルを流している。
驚きだ。

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いまから約40年前
通学をはじめて、わたしは満員電車の中で苦しんでいた。
40年前の電車は、もっと混んでいて窮屈で苦しかった。
40年前に、ふと思った、未来の空想、それが実現してしまった。


ぎゅうぎゅうの満員電車の中で何もできず、
もし電車の中に、薄いテレビが設置されていたら、
どんなにか、素晴らしいことだろう!
救われるはずだ、と空想した。
当時としては、すごい予言だ。
こんな理不尽な空間なんだから、気を紛らわせるのに、
電車内テレビが実現されるべきだ、とハッキリと自覚した。


当時は薄型テレビなんて全くなかった。

 

電車の中のテレビを眺めていて、
いまも時々、40年前にテレビを空想していた、自分を思い出す。

・・・あれ、スマホで動画をみている人がいるかもしれない、
・・・あれの方が、未来世界の実現だね、あれの方に驚いてもよいかもしれない。