例えば ケンカの事例
現実のひとつ
またそれは、ドラマの1分類
ケンカ がある。
電車の中でケンカ に遭遇することがある。
ケンカの事例について、考えてみた。
まず過去の記憶を思い出しにかかった。
自分が巻き込まれたのは、すくなくとも、3回半。
この40年間で。
つまり、たまたまケンカを観た、でなくて、
巻き込まれた。
基本、わたしは平和主義だと思う。
それにもかかわらず、遭遇する、あるいは、巻き込まれる。
この事実を、考えてみよ 通勤は、現実の宝庫、
電車通勤は現実の凝縮箱のようなもの。
実際に自分に起きた出来事、経験なのだ。
さらに、気が付いた
巻き込まれたケンカを、思い出して文字に落とすうちに、
・・・つまらない、と思えてきた。
いやなことは、忘れたい という側面か、(笑う)。
わざわざ、思い出さなくてもいい、
面白くなさそう と。
つまり、ヒトは不愉快な出来ごとに遭遇する。
ヒトは いやなことは思い出したくない、
ヒトは、それらをなかったことの様に整理しているかもしれない。
現実とは、そういうもの。
このテーマは、もう少し考えておきます。
できれば、記憶の隠れ蓑を面白く書きたい。
あれだね、はるか昔、時間が沢山あった時代、
古代とか、少し前の江戸時代とか、
老人が、時間があるときに、昔話を語る。
昔、こんなことが、あったんだよ。
(笑う)