窓際が好き
いつも電車のトビラのソバです。
大きなガラスに、くっついて外を眺める。
通勤だから見慣れた景色。
だけど天候は毎日 ことなる。
季節が ことなる。
朝の景気は、そこそこ見ごたえがある。
高架になったので、遠くまで見れる。
冬は空気が澄んでいる時があって、時には遠くの山の方までみれる。
空気の中のチリの具合で、ずいぶんと、見え方が違う。
ほんとうに遠くの山までみえる時が、たまにある。
考えて 見ると、じつは 何かを考えていて
景気をみていない時が多い。
仕事のこと、家族のことなど。
それは、そうだ、通勤は、考える時間。
ラッシュの確認
乗りきれなかった。
となりの駅で急行に乗り換える。
いつものこと。
2列で10名分ぐらいが並んでいる。
急行が到着して、乗り込みが開始。
6個分が乗れて、
4個分が乗れなかった。
乗るのをあきらめた。
自分も乗れなかった。
すぐに、次の急行がきた。
今度は、乗れるはずだ、と すこし不安が漂う。
一度、のれずに取り残されると、
次は、のりたいと、気合がはいる。
通勤はたいへんだ。
ちいさなドラマだ。
記憶とは
記憶のインデックスは映像
例として、たとえば 「老い」 とは?
その問いに答えるために、わたしはわたしの記憶倉庫をサーチして「老い」を探す。
老い に該当する映像がリストアップされる。
かつて 見た映像。
「記憶」ともいう。
電車の中で見た 老い 映像も含む。
それらが わたしにとっての「老い」
それでは、わしにとっての「恋愛」とは?
観察しているのだと思う
電車の中は、無言の 観察会 のようなもの。
比較的に、近いところで、時間をともにすごす。
人と人の接点とは。
まず家族と家族以外にわけ、
さらに 家族以外は、
おおむね 友人 か 職場 そして、通勤
大分類として、通勤 の構成比は、大きい。
超概算で 25~35%
電車の中での出会いは、現実の情報源になっている。
つまり、通勤する人と、通勤しない人の違い。
さまざまな人、たとえば
サラリーマン
OL
学生
さまざな趣味の人、
あれ、この人、変わっている、とか
・・・
電車の中で、人は、人と出会っている。
通勤の中での現実
毎日通勤していると、いろんなことが起こる。
つまり、現実に起きることに遭遇する。
真近に、現実をみる。
大きく分類する
暴力
これは、ケンカのこと、特に記憶に鮮明に残る、めったには、ない。
3回ぐらいは、見た、思い出せば、もっとあるかもしれない。
他には。
老い
夫婦
恋愛
青春
友達
育児
疲労
睡眠
眠気
譲歩
気遣い
・・・・
実に、いろんな姿を、見てきた。
沢山の現実。
沢山の現実を手に入れて、記憶として取り込んだ。
現実と仮想
現実と仮想の違いは ?
現実と仮想の線引き
明確な線引きはできない
でも
現実とは、自分が遭遇した本当の出来事、
仮想とは、ヴァーチャル、映像、メディアを通じての体験。
現実は限られている
仮想は氾濫している
そんな見方でよいでしょう。
思うに、
ほんとうの事と、自分がとらえた仮想 を間違えないように。
オリジナルの現実ないと、仮想は生まれない。
自分が体験した現実をくみ上げて、人は仮想を作っている。
それぞれが体験した現実は異なる、
従って仮想は、それぞれで異なっている。
それでは、通勤との関連とは、
・・・ 通勤は、現実だ!
日常性格を、大きく区分してみよう。
・食事
・通勤
・仕事
・趣味&遊び
・睡眠
つまり、
通勤は現実を体験する主要な要素のひとつ
肘がぶつかる頭がぶつかる
つり革や、鉄の柱は、電車にはあった方が、いい。
けれども、満員電車の中で、つり革を、がんばって確保していると、
おかしな ことになる。
必死になって、つり革を確保しているので、
自分の肘が、人の頭に当ったり、あたりそうになっている
のが、分からないのだろう。
心理について、考える様になった。
たぶん、こういうことかもしれない。
この不条理な満員の電車の中で、私は自分を守る権利があり、
このつり革を、手放すつもりはない。
せっかく確保したのだから、これ以上に不利な状況に なりたくない。
お隣さん、すまんが、あなたに同情している余裕は、私には、ない。
自分のことで精一杯だ。
無理に伸ばしたこの肘が、あなたに、あたることが、あるかもしれないが、
この状況の中なのだから、仕方ないよね。
あなたも、文句はいわない方が、いいと思うよ。。
そんな、ところかもしれない。
そうですね、・・・頑張ってください。
ツライ姿勢
満員電車の中で、ギュッと詰め込まられる
のは、当然タイヘンだが、
もう一つのツラサは、無理な姿勢だ。
まず、自分の足を下ろしたいのだが、足が混んでいて、下ろせない。
なにがどうなっているか、ハッキリしないのだが、足が混んでいるのだ。
こんなことが、何度かあった。
下ろしたいところに、下ろせない。
下ろせる場所は、自分の姿勢に対して、不自然な場所。
極端な場合、体は斜めにされていて、足を踏ん張りたいのだが、
足を置く場所がない。
踏ん張れない。
これは、とても、ツライ。