ツライ姿勢
満員電車の中で、ギュッと詰め込まられる
のは、当然タイヘンだが、
もう一つのツラサは、無理な姿勢だ。
まず、自分の足を下ろしたいのだが、足が混んでいて、下ろせない。
なにがどうなっているか、ハッキリしないのだが、足が混んでいるのだ。
こんなことが、何度かあった。
下ろしたいところに、下ろせない。
下ろせる場所は、自分の姿勢に対して、不自然な場所。
極端な場合、体は斜めにされていて、足を踏ん張りたいのだが、
足を置く場所がない。
踏ん張れない。
これは、とても、ツライ。
ラッシュ具合も移り変わった
あの当時は、今より電車が混んでいたのかもしれない。
高度成長期
あれから、都内の鉄道も、じょじょに整備されていった。
それに、時差通勤も 普及した かもしれない。
あの頃は、本当に ぎゅうぎゅうに 詰め込んでいて、
奥の方まで、ぎゅうぎゅうで苦しかった。
乗車率200%とか。
あの頃のラッシュを思い出してきた。
あそこでは、沢山の知らない人と、ぎゅーときつく未着する。
痛くて・・・苦しくて・・・ツライのだ。
辛さの点で、特別の体験だと思う。
あれだけツライことはそうはないのに、
通勤しているみんなが遭遇している 大規模な苦難なのに、
大して取り上げてもらえない。
もっと注目してもいいのではないか?
なぜか?
事件でない、既に日常だから。
変えられないのだから
仕方がないのだからか?
そのギャップの具合にも、不思議さを感じた
何か、この世の影の一面を見ているようであった。
思い出す出来事
電車通学の初日
そのとき初めて通勤ラッシュ時間帯のホームにいた
15歳の頃
人にはそれぞれの体験があり、自分だけの情景を記録している。
それぞれの体験とは、それぞれの起動の道しるべのような画像。
自分自信の軌道を現わす映像
映像となった体験
遠い過去
つまり記憶を深く刻んだ出来事
朝のひかりの中の電車と喧騒
通勤通学ラッシュのホーム
別世界であった
こんな世界が、あるのか
恐ろしいことだ。
人がヒシメイテいる。
電車に乗ろうとして、必死になっている。
エネルギー分散の法則
はじめは、人はドアのあたりに集まっている。
ドアの周りの人は密着していて、密度が高い。
一方で、奥の中央部は密度が低い。
密度が高い方から低い方へ
じりじりと人は移動していく。
そのわずかの移動が繰り返され
車両全体の人は分散化し、密度は均等に向かう。
ホームで無理やり押し込んでも、分散化はすすむ。
ドアの周りの密度は次第に、低下する。
つまり、きゅうくつなドアの周りは、
次第に楽になる。
乗り込める/乗り込めない
列の最後は乗り込めない、ことが起きる
軍団の最後は、押し込んでくれる人がいない。
だから圧力が弱いので
入れない。
前の方に人は、後ろが押してくれるので
乗れる。
面白い構図
力で入り込む
隣の駅で急行に乗り換えるのだけれど、
急行は満員。
停車駅位置に並んで待つ人は、ある意味、軍団。
急行が到着してドアが開く、
中の乗客の表情を一瞬だけ確認、
無視モードに切り替える。
電車は、ある意味、軍団の襲撃をうける幌馬車の定期便。
ホームに緊迫の空気が生まれる。
「乗せてもらうぞ!」
・・・
「もう満員だから困ります。」
無言の会話。
3列×8~10名の軍団が侵入を開始。
意外と、どんどん入れる。
結構、はいれる。
だけど軍団の最後は、いつも、手間取る。
なかなか、入れない。
こんな感じの ドラマ。
どれだけ入れるか?
ホームで待つ人の群れ
朝の通勤ラッシュアワー
さぁドラマの始まりだ。
人間詰め込み実験
電車は到着した。
どこまで乗り込めるのか。
自分は乗れるのか。
乗れる人、乗れない人。
運命の分かれ道。